録画されていたIPPONなんとかという番組を見た。
これはいわゆる「大喜利」の番組で、あるお題に対してお笑い芸人達がおもしろい答えを出し合うものである。
私が見たのは、さらにそれの特殊なもので、答えを自分で言ったり書いたりするのではなく、あらかじめ用意された言葉がかかれた、マージャン牌を大きくしたようなものを2つ組み合わせるというものであった。
それを見ていて私は最初は物足りなさを感じた。芸人達が自由に自分達で言葉を選ぶのがおもしろいのではないか、と。
番組は1時間ほどだったのだが結局最後まで楽しんで見た。
番組のなかで松本氏が、「なう」という言葉を使って答えを出した後に、「この言葉の使い方をよく知らない」と漏らした。
それを聞いて、彼が今までフリートークなどで、聞いたことはあるが本当の意味を知らずにそれについて語っていたことを思い出した。
私が知っているのは「ドメスティック」と「メランコリー」である。
「ドメスティック」については、たいてい「ドメスティックバイオレンス」として使われるために、松本氏は「ドメスティック」に暴力的な意味があると思い込んでいた。最終的には観客に意味を教わって赤面していた。
「メランコリー」については、どうやら「ロマンチック」のようなうっとりするようないい意味でとらえているようであった。
そういえば、テレビでは何か未知のものについてさも知っているかのようにそれについて語るゲームのようなものがある。
松本氏はそれに近いことをやっていたのかもしれない。
だが、彼がしているのは、その言葉の本当の意味を知らないが故に的外れなことを言う、というような単純なおかしさではない。
ある言葉があり、それが意味していることがあり、それから連想されることがあり、また、それが誤用されたり使い古されたりしていることもすべてひっくるめて、その言葉を聞いた人が抱くものから生まれるおかしさ、違和感、意表をつかれた感じ、そういうものを生み出す能力を彼は持っている。
それは言葉についてもそうだし、常識とか倫理についてもそうである。
彼は一般的に言えば、非常識だったり無知だったりすることがある。先ほどのドメスティックやメランコリーについて知らなかったように。
だが、彼の強みは、言葉や常識に絶対性がないことを知っていることである。それは、たくさんの言葉の辞書的な意味や世間でどのように使われているかを知っていることなどよりもはるかに有力でありまた獲得するのに困難な知識である。
彼が当意即妙なコメントをできるのは、この言葉というものの核心を理解しているからである。
それが、彼自身も言う「ワードセンス」というものなのだろう。