「論理的思考(が必要、大切)」ということを時々聞くのだが、そもそも思考というものは論理なしに成り立たないのではないだろうか?
論理的に考える、というときに言わんとしていることはわかる。思い込みとか憶測とか感情を排除して事実に基づき飛躍などをなくして考える、という。
しかし、思考する、考えるときには、たとえ憶測や感情から出発したとしても、考えるからには論理なしには成立しない。
「日本人は全員バカである(無根拠、思い込み)。お前は日本人である(実は韓国人かもしれない。そもそも日本人とは国籍のことか、民族のことか?)。ゆえにお前はバカである。」
という思考は、憶測や事実でないことを含んではいるが、論理としては正しい。
この思考において批判されるべきは日本人がバカであるとか「お前」が日本人であることの証拠などがないことであって、論理的でないことではない。
私に言わせれば誰かの話が論理的でないと怒っている人こそ、感情的になっている。