週に一回ランニングをしている。
走っていると疲れるが、走り終わった後はとても気分がよい。
体調によって、疲れるときとそうでないときがある。
10km走ることにしているが、疲れてしまい8kmでやめたり、往復地点の5kmに到達する前に『今日は6kmにしよう』と思って3kmで折り返すこともある。
走れなくなるのはだいたい、前の晩に飲みすぎているか、十分眠れなかったかである。
ある時、走りながら『疲労ってなんだろう?』と疑問に感じたことがある。
疲労というのは、一般的によくないこと、マイナスなこと、避けるべきことと考えられている。
とはいえ、人が何かすれば、仕事でも遊びでも、疲労するのは当然のこととも考えられている。
走る前は疲労していない。走り始めると心拍数があがり、呼吸回数が増え、筋肉が動き、汗が出る。
それらは運動開始直後は快適ですらあり、それが直接疲労なのではない。
あたり前のことだが、これは大事なことだ。
2,3km走っていくと、むしろ平常時より気分がよくなり疲労というものはほとんど感じない。運動を継続して、エネルギーを消費しているのに。
『疲労ってなんだろう?』と疑問に感じたときは、「疲労とはエネルギーが枯渇することである」というような漠然とした私の持っていた疲労というものの概念を疑ったのである。
食事をして睡眠をとれば疲労は回復する。
そしてまた仕事なり運動なりをすると疲労する。
でも、人が生きていくにはエネルギーを必要とするのであればその消費は異常な状態ではない。
エネルギーが枯渇して運動することが困難になったとき、人はどうするべきか。
特に、ランニングというのは体力増進をめざすものである。心肺機能とか、筋力とか。
それは、自分が苦しくなった時、つまり疲労したときに「頑張る」ことによって増進するのだと、私は考えていた。おそらく多くの人がそうであろう。
疲労も極度になってめまいがしたり一歩も動けなくなるような状況になるのはよくないとは考えていても、ある程度の負担を加えることによって体力というものは向上すると、私は考えているし多くの人がそうであろう。
疲労も、一時的なものとそうでないものがある。
ランニングで言えば息が上がってしんどくなっても、スピードを落としたりいったん止まったりすれば回復してまた走れるようになる。
しかし、10km走る場合であれば、7~8kmあたりでしんどくなって、もうやめたい、と思うことがよくある。
その時は、『ここが頑張りどころだ、あと3km』と考えて苦しいながら走りぬくようにしている。
大体、走り終わってみるとそれほど疲れていず、『あきらめないで最後まで走ってよかった』と思う。
だとすると、7~8kmあたりで感じていた疲労は気持ちの問題、気のせい、精神的なもの、ということになる。
スポーツのトレーニングとか練習とかいうのは、これをなくすためにやっているのではないか。
私はそうだった。体力そのものを増進しパフォーマンスをあげるというより、慣れて、経験して、こうするとこうなる、これくらいやっても大丈夫、というのを積み重ねることで気持ちの問題による疲労をなくしていくのがトレーニングだった。