2001/10/8

動機も目的もはっきりしない。
だからシリメツレツで、つまらないかもしれない。
わからないかも。

俺はいつも何かを読んでいて、
そのくせ、それをつまらないと思っている。
つまらない、というよりは、ケチをつけている。

たとえば「説明的である」
または「誰かのマネだ」
或いは「絵空事だ」
という感じだ。

俺は、しまいに、「意味のある事はイヤだ」とさえ
思うようになった。

それは言葉に限らず、絵、音楽、映画、ドラマ、
ニュースやスポーツ中継さえも。

スポーツ中継に「し意」がないというのはマチガイだ。
野球では、2死2、3るいで誰もいないファーストを映すとか、
足の速いランナーがでたとき3るい側からピッチャーを映すとか、
そういうものだ。

ドラマでも、その人物が何者であるかを説明して始まるような
ものはダメだ。

障害者を扱ったものはダメだ。
それが事実でなければ感動しないのはダメだ。

俺はもはや、自分が幸福になる事を望まなくなっている。

それは宗教家として無私の境地に立ったというのとは
違う。

俺は、そういいながら、意味のドレイになっている。

論理のどれいとなっている。

健康

米はなるべく玄米を食べる。 調理時の油はサラダ油よりオリーブオイルやごま油を使う。 小麦粉はあまり食べない。 乳製品は控えめに。 砂糖は控えめに。 塩も控えめに。 野菜を食べる。(毎日大葉を5枚くらいむしゃむしゃたべている) 食べる量を控えめに。 ラーメンは控えめに(そもそも食べ...